とにかく日記なのだ。なぜなら忘れっぽいから。
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去りゆく冬を恋しく思う
2018-03-24
禺画像]
文字通りと言う訳ではなく、桜の時期かと思うだけで歩みを停めてしまいたくなる。同じように桜を見ては写真を撮って撮った写真を人に見せて見せられて、毎年のそういう事に疲れを感じる歳になった。
昔から桜は生命の息吹ではなくて死人を想う花として感じていたからかも知れない。
若い頃は一種妄想のようにそんな気分を楽しめていたんだ。
桜餅なら見るのも食べるのも吝かではないな。
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